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日々の戯れ言を中心に様々なことを呟きます。

母の死2

      2023/07/08

身近な人が亡くなった経験は、二親等の祖父祖母が最も近い。
時間的な話では妻の母。2018年のことだ。

ごく近い人の死は初めてだし、看取ったのも初めてだ。
もちろん悲しかったし動揺もした。が、その割に冷静でいられたのは、父が居たからだろう。
「ここで悲しむべきは自分よりも父」という考えは、妙な使命感というかこだわることでも無いのだが、なんとなくそう思ってしまった。

当然のことながら自分以上に長年一緒にいて、母の病状が悪化した中での寄り添いや、身の回りの世話は、父にしかできなかった。
息子の俺には弱みを見せたく無いし、情けない姿を曝け出したく無い。そういう母だったから俺にはできないことが多かった。
俺は一緒に住んでいないから、本当の意味でのお互いの大変さを知らない。

亡くなる2日前。しゃべることが難しくはなっていたけれど、まだ母は意識をしっかり持っていた。
苦しみながらも、孫に対して「来てくれてありがとう」とは言っていた。
父は思い出話を語りたかったようだが、母はそんな父の思い出話を「また、馬鹿にして」とうんざりしていた。
俺は困難そうな母の姿を見て、ただ手を握ってそばにいれば良いなと思っていた。

亡くなる直前、父は「俺と一緒で幸せだった?俺で良かった?」と聞いていた。
ドラマみたいだったけど、俺は窓の外の赤城山を見て泣けてきた。
母が亡くなったのはそれから1時間もしなかった。

医者たちが霊柩車に頭を下げて、母は運ばれていった。父と俺は医者たちに一礼して、駐車場へ歩く。
空調の効いた病室に慣れてしまっていたから、6月の梅雨時期特有のねっとりとした空気が気より持ち悪くて、母の死をリアルなものに感じさせた。
車を走らせると、太陽が照ってるのにすぐに雨が降り出して、それがまたなんとも言えない気持ちにさせた。

 - 2023/06, 日常・戯れ言